Irish coffee

Saturday, January 28, 2012

生保に関する3つの誤解

「姉は病死 妹は凍死 生活保護申請も出来ずに逝った姉妹 生活保護に関する3つの誤解」 http://blogos.com/article/30215/

とてもわかりやすく、書籍も紹介されています。

北海道の事件は、多くのメディアが取り上げましたが、中でも北海道新聞が、弱者に寄り添う視点で
丁寧な内容で書かれていました。以下貼り付けます。

知的障害1500人 生活調査*札幌市が孤立死対策*北電、北ガスと連携も
2012/01/28 北海道新聞朝刊全道(総合)

札幌市白石区のマンション居室で、40代の姉と知的障害者の妹の2人が遺体で見つかったことを受け、札幌市は27日、福祉サービスを利用していないため生活実態を把握できていない知的障害者の家庭調査を、2月から始める方針を決めた。また、市は同日、北海道電力と北海道ガスに対し、料金を滞納している生活困窮者に市への相談を促してもらうことなどを申し入れた。(関連記事35面)

調査の対象者は、市の判定で知的障害者と認定された市民約1万3千人のうち、障害が軽度だったり、家族が介護しているなどの理由で、福祉サービスや福祉施設を利用していない約1500人。発達障害は含まない。 

書面で、家族構成や非常時に頼る人の有無を尋ねる。また、希望すれば、氏名や住所などを民生委員に情報提供し、定期的な安否確認をしてもらう。 

市によると、死亡した姉妹は地域社会とほとんどかかわりがなかった。知的障害のある妹は福祉サービスを利用していなかったため、行政や地域は窮状を把握できなかった。市は調査を通じて、地域での見守りを進める機会にしたい考えだ。 

また、市が27日に行った北電と北ガスへの申し入れでは、料金を滞納している生活困窮者に、市への相談を呼び掛けるよう要請。さらに、供給を打ち切る場合は、事前に市と情報交換ができないか協議の場を設けることも求めた。市は今後、LPガス業者にも同様の協力を求める。 

市の申し入れに、北電広報部は「真摯(しんし)に協議に応じたい」、北ガス広報グループは「具体的な内容は聞いていないが、適宜協力したい」とそれぞれコメントした。 

*福祉の安全網を強化 <解説>札幌市が家庭調査など知的障害者の孤立死対策に乗り出すのは、今回の姉妹孤立死をめぐり、福祉のセーフティーネット(安全網)が十分に機能しなかったという反省を踏まえたものだ。 

姉は3回にわたって、同市に生活保護申請を相談。市内の障害者相談支援事業所とも連絡を取っていたが、最終的には福祉サービスの利用や生活保護の受給を申請しなかった。市幹部は「本当は助けが必要だった人を救うことができなかった」と悔やむ。 

65歳以上の高齢者の場合、市は名簿を民生委員に提供。民生委員は一人暮らしの世帯など見守りが必要な人を頻繁に訪問している。だが、障害者の場合、本人や家族が「地域の人に知られたくない」として、民生委員への名簿の提供を拒否する場合が多いという。 

外部とのつながりが少ない上「迷惑をかけたくない」と近所づきあいを嫌がる障害者もいる。障害者への偏見もあり、助けを求められない人の声に気付くのは簡単ではない。 

市は2年前にも、北電や北ガスに対し、料金を滞納している生活困窮者に、同市への相談を勧めるよう要請していたが、実際は機能しなかったという。命綱となる電気やガスなどの事業者と、障害者に関する情報を持つ行政の連携。悲劇を繰り返さないためにも、垣根を越えて連携を強化し、弱者の目線に立った一層の努力が求められる。(中村征太郎)

頼れる姉 疲れ果て*札幌・孤立死*「人に迷惑かけない」1人で妹世話/「厳しいけど頑張る」バイトで生計2012/01/28 北海道新聞朝刊全道(社会)

札幌市白石区のマンションで20日、遺体で見つかった無職佐野湖末枝(こずえ)さん(42)と恵(めぐみ)さん(40)姉妹の死は、知的障害のある恵さんの世話を湖末枝さん1人が背負ってきた中で起きた。仕事を求め、住み慣れた滝川から札幌に移った2人の暮らしをたどると、「他人に迷惑をかけられない」との思いから、地域社会とかかわらず、窮状を深めていった様子がうかがえる。(札幌圏部 川浪伸介、報道本部 古田夏也)=1面参照 

湖末枝さんが恵さんの世話をしながら過ごした滝川市内の2階建ての木造アパートは、1メートル以上ある雪壁にすっぽり囲まれていた。

*両親他界 姉妹は赤平市で生まれた。母親が病弱だったため、炭鉱で働く父親と3人で暮らしていたが、湖末枝さんが中学の時、父親はがんで亡くなり、その後、母親も他界した。 2人は一時、伯父の元に身を寄せ、湖末枝さんは高校卒業後、店員などをしながら滝川市内のアパートで暮らし、恵さんも後に一緒に住み始めた。 「面倒見が良い姉で、妹も頼りにしていた」。アパートの隣に住んでいた管理人の男性(68)は振り返る。「料理は交代で作るんだよ」。近くの授産施設に通っていた恵さんは、職員にうれしそうに話していたという。

*「111」 湖末枝さんは2003年、安定した仕事を求めて札幌に移り住んだ。「何とか妹を自立させたい」と周囲に頼み、恵さんは知人の支援を受けながら1人暮らしを続けた。だが、4年後に体調を崩し、札幌で湖末枝さんと再び同居した。 洋服店で働く湖末枝さんは毎日帰宅が遅く、恵さんを施設に預けようと考えたが、恵さんは激しく拒んだ。 このころから相談を受けていた障害者施設の女性支援員は「姉は疲労が重なり、施設を探す気力も失っていった。姉と離れたくない妹にも無理強いできなかった」と振り返る。 

湖末枝さんは冷蔵庫に食品を入れて仕事に出かけた。当時、滝川の複数の知人に「迷子になると困るし、近所の人にも迷惑がかかる。だから妹は外出させない」と話していた。 湖末枝さんの死後、恵さんが外に出た形跡はなく、湖末枝さんが死亡した前後とみられる12月20日、携帯電話には「111」とかけた履歴が残っている。 施設職員によると、恵さんには中度の知的障害があり、理解が不十分なところはあるが、日常会話や買い物は可能で、外に出て助けを求めることもできた。捜査関係者は「妹は外部に助けを求めようと110番か119番しようとしたが、姉の言いつけを守り、外に出なかった可能性はある」とみる。

*救いの手 姉妹の暮らしは、湖末枝さんが09年に仕事を辞めて行き詰まった。1カ月6万6千円の障害者年金とアルバイトでやりくりしたが、マンションの家賃は月額5万5千円。10年6月から3回、白石区役所に生活保護の相談に訪れた。 湖末枝さんは相談が終わるたび、女性支援員に「いろんな書類が必要で、時間もかかる」とこぼしていた。20年来の友人の女性(55)は「本当は救いの手がほしかったはず。手続きが面倒で、自力で頑張ろうとしたのでは」と話す。 数少ない親族のうち、空知管内に住む女性(78)を訪ねた。女性は「本当にかわいそうだけど、遺骨は引き受けられないの」と目を潤ませた。女性も1人暮らしで、足腰が弱くなっているという。 「こんなお願いをするのは申し訳ないが、霊前に供えてやってもらえませんか」。女性はしわしわの手で香典袋に一万円札を入れ、記者に託した。

*姉妹が亡くなった状況 札幌市白石区のマンションの居室で20日夜、女性2人の遺体を札幌白石署員が発見。道警のその後の調べでこの部屋に住む無職佐野湖末枝さんと知的障害のある妹恵さんと確認された。湖末枝さんは昨年12月下旬~1月上旬、脳内血腫で急死し、恵さんも1月上旬~中旬、衰弱の末に凍死したとみられる。2人は生活保護を受けておらず、料金滞納でガスや電気の供給を止められていた。

【写真説明】佐野湖末枝さんが2011年2月、滝川市の友人に送った寒中見舞い。仕事に就くため、さまざまな資格に挑戦している様子が分かる
【写真説明】佐野湖末枝さん【写真説明】佐野恵さん

わずかな期間に、これだけの取材、提案、申し入れに動かれた方々に感謝の意を表します。この事件が氷山の一角にすぎないことを踏まえての動きだと思います。

Friday, January 27, 2012

私たちにできること これ以上の汚染を食い止めること

http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/402.html

Tuesday, January 24, 2012

無念の死

<40代姉妹死亡>「生活苦しい」区役所に3回相談 札幌 毎日新聞 1月24日(火)12時22分配信  札幌市白石区のマンションで知的障害のある妹(40)と姉(42)とみられる遺体が見つかった問題で、この姉は約1年半前から3回にわたり区役所に生活相談に訪れ、生活保護申請の意向をみせていたことが、市役所への取材で分かった。姉は自身の仕事や妹の世話をしてくれる施設も探して いたようで、その最中に急死し、連鎖的に悲劇が起きたとみられる。  

札幌市保護指導課によると、姉は10年6月、11年4月、同6月の計3回、区役所を訪れ「生活が苦しい」と訴えた。2人の収入は中程度の知的障害がある妹の障害年金だけだったとみられる。昨年6月、姉は「今度、生活保護の関係書類を持ってくる」と言って必要な書類を聞いて帰ったが、その後は相談がなかった。  北海道警の調べでは、姉妹の部屋に求職に関するメモがあった。姉とみられる遺体の死因は脳内血腫。姉は3年前に脳外科を受診した記録があり、体調不良を自覚しつつ職探しをしていた可能性がある。区内の民間障害者施設によると、姉は約1年前に妹の通所の相談に来たが、決まらないまま連絡 が途絶えたという。  

一方、妹とみられる遺体の死因は凍死で、死後5日~2週間。料金滞納のためガスは11月末に止められており、室内は冷え込んでいたとみられる。  姉妹に近所付き合いはなく、地元町内会長の本田鉄男さん(66)は「マンションが町内会に加盟していれば回覧板で変化に気づけたが、非常に残念。せめて市役所から知的障害者がいるとの情報があれば対応できたのだが」と話す。  

ただ市保健福祉局の担当者は「障害を知られたくない人もおり、情報を一元的に出すのは難しい」と話す。民生委員の巡回は高齢者宅に限られ、災害時の要援護者のリストアップも、希望者だけを登録する仕組みだ。  札幌白石署によると、昨年12月15日に家賃滞納分の振り込みがあり、それから数日内に姉が急死したとみられる。同20日に「111」など複数の発信記録が姉の携帯電話にあった。残された妹が110番など何らかのSOSを出そうとしたのかもしれない。【伊藤直孝、中川紗矢子、小川祐希、佐藤心哉】

***
北海道には唯一生保支援ネットがないそうです・・・
毎日の記者さんたちに貴重な情報を報道してくださったことを感謝し、現地の反貧困ネットなどとつながって生保支援ネットを作る働きかけをしてもらえるようメールなどでリクエストしてもらえると嬉しいです。

残された妹さんが必死のSOSを発していたことを無にしないためにも!

Monday, January 23, 2012

ワタミ会長の意識

http://ameblo.jp/watanabemiki/entry-11134684225.html

生活保護について 日本の生活保護者は現在206万人。 15年前の約3倍。 その費用は、年間3.4兆円。 生活保護を考える。 弱い者は当然守られねばならない。 強い者が弱い者を守るのは当たり前。 元気な者が病気の者を支えるのは当たり前。 若者がお年寄りを支えるのも当たり前。 その当たり前を前提に考えた上で、 生活保護を現金でなく、現物でできないかと考える。 住むところ、3度の食事、衣服、 生きる上の基本的なもの、衣食住を提供し、生活をしてもらう。 もし、それが出来れば、3.4兆円もかからない。 余ったお金を本気で職業訓練・指導・就職の斡旋、働く場探しをする。 結果として生活保護者は減る。 このまま、今までの現金給付のみでは、生活保護者は増える一方になりかねない。それは保護を受ける人にとっても、税金を払う国民にとっても幸せなことではない。

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彼は、生活保護受給者を一人の人間とみなしていないように感じます。 病気や障害で働けない、仕事ができない人を「落伍者」とみなし、住む場所と食べるものと着るものを与えていればそれでいいという考え。

生保を受けている人は、たまたま、そうなってしまっただけの人です。落伍者でもない、社会の構造の中で翻弄され、最終的なセーフティネットによって何とか支えられている人。「働かずにお金もらって楽してる人間」と思っている人は、一度生保受給者の話を聞いたらいい。人間として生きるために、友達と会ったり、電話したり、カフェでお茶を飲んだり、ちょっとした気分転換もしたい、そんな当たり前のことが、「現物支給のみ」になればできなくなります。(今でも、既にできなくなっている人もたくさんいます)まるで家畜に「えさを与えて生かしておけばいい」と思っているような感じさえ伺えます。メディアはあまり信用できません。一部の楽してるように見える人だけをクローズアップし、本当に苦しんでいる人を紹介しきれていないから。もちろん、好意的な報道も中にはありますが。

高槻の住民説明会を聴いて

高槻クリーンセンターのある前島で住民による住民説明会が行われた。その録音記録を聴いていて感じたこと。

情報が隠蔽された状態で、いかに真実を見抜き、それを裏付ける情報を集めるか、それをいかに他人に伝えていくか、点と点がつながって線になっていくことの必要性を実感した。それを行動に移してくれた人たちに本当に感謝します。

本来一箇所に固めて動かしてはいけない、危険な放射性瓦礫が船で大阪に持ち込まれようとしていること。移動させ、焼却、埋め立てすることでどれだけ、灰を撒き散らし、汚染を拡大するかということ。(原発を10基持ち込むに等しいという指摘もあります。)

実際に焼却を始めた関東や山形で汚染が広がり、健康被害が出て、借金してまで関西に逃げてきた人たちもたくさんいること。(避難者は1000人を越えるとの情報もあります)実際に避難者は、関西に在住しており、高槻でも、避難者と支援者の交流会に20名前後集まります。

一方で、そういう会があることすら知らず、孤立して生きている人もたくさんいます。

健康被害が出ても逃げられずに、苦しんでいる人もたくさんいる。

焼却場の作業員、周辺地域住民などが意見交換できたこの集会。議員も巻き込んで、応援してくれる議員を支えて、少しでも声を大きくしていくことが、この日記を読んでもらうことも含め今、私にできることかなと思います。

スウェーデンでは、300ベクレルくらいのトナカイの肉を食べ続けた人々が内部被曝を受け、通常より癌の発生が3割増えたそうです。日本では、内部被曝の情報は初期のうちから流れていたけれど、それを知らずに普通の食生活を続けていれば、基準値は500ベクレルなので、それより高い値で癌が発生する可能性もあります。

瓦礫受け入れで外部被曝の可能性も増えれば、健康被害がぐっと増えることも予想されます。

せめて、海洋投棄はやめて!汚染の拡散もやめて。。。

被災地の復興支援として、瓦礫の焼却は被災地(岩手、宮城)で行うという話もあります。震災失業は被災地で12万人とも言われています。膨大な費用をかけて瓦礫を関西に持ち込むより、彼らに仕事を与えることが大事と言う人もいます。結局はゼネコンが儲けることになる、危険な仕事を、命をけずりながらでもやりたいという人はきっと多いのでしょう。個人的には、福島原発20キロ圏内の人が住めなくなったところ、或いは岩手や宮城に処理施設を作って瓦礫を保管することがいいのではないかと感じます。

原発を容認してきた責任は自分にもあるのだけれど。受け入れをツルの一声で決め、それを実行しようとしている橋下知事を府民が選んでしまった(選ばせてしまった)責任は私にもあるけれど。そのことが、東日本の人たちを苦しめている事実を認識し、これ以上被害を大きくしないための行動を起こすことが大事ではないかと思います。

府の職員の中にも「大阪府の指針は府のおせっかい」という人もいます。焼却場、埋め立て場の持ち主である市町村が受け入れを決定する権限があると私は思います。再稼動反対とセットで、運動が広がることを願っています。

差別の構造に加担してきたことは認めつつ、でも、今動かないともっとひどい現実を受け入れることになってしまうという危機感を感じながら、日々生きています。 自分の問題として考えることが、どう動いたらいいかを考えるきっかけになるかもしれないと思います。

Sunday, January 15, 2012

ハシズムとファシズム

池田浩士さんの講演より(京都精華大学)

なぜナチスは「エホバの証人」を真っ先に弾圧したのか ナチズムは、600万人のユダヤ人、50万人以上のロマの人たち、多くの同性愛者、障害者、アルコール中毒者などを殺しました。しかし真っ先に弾圧したのは「エホバの証人」信者でした。彼らの戒律のうち、国家儀礼の拒否、つまり国旗への経緯の表明や国家を歌うことを拒否することを一番の脅威だと感じたからでした。つまり、国家儀礼を拒否する国民の排除が必要だったのです。 当時ドイツには、6034人の信者がいましたが、そのうち5911人が逮捕され、2000人以上が虐殺されました。これが最初の大量虐殺でした。 ナチスは、チューリンゲン州ではじめて大臣を出しました。そのとき、ヴィルヘルム・フリックが法務大臣兼教育大臣になり、教育改革をすすめるとともに、黒人文化禁止条例を作ったのです。ドイツ人の民族性を守るためという理由からです。ジャズ、抽象画、アングラ劇などを禁止しました。ナチスによる独裁はここから準備されていったのです。

1933年にヒトラー内閣が成立した時、首相のヒトラーを除いて、ナチスは二つの大臣ポストしか取れませんでした。そのうちの一つが治安・警察・思想統制を管轄する内務大臣で、法令改定を含めて思想統制を行うことの重要性をナチスは認識していたのです。

ナチスの時代を「良かった」という人々

ドイツでは、あのひどい犯罪が明らかになっていた戦後においても「あの時代は良かった」という感想を抱く人々が多かったという事実があります。そのことを記した公文書は隠されていましたが、情報公開で明らかになりました。 その理由の一つは「失業がなくなり生活が安定した」ということでした。

ナチス政権掌握直前の失業率は44・9%で、それ以外にパート労働が約30%いました。それを二年後には一桁に、1938年には1%未満にしたのです。どのようにして失業者を減らしたかというと、失業者を正採用労働者の(賃金の)5分の1から7分の1の「チップ」によるボランティア労働に借り出すことによってでした。しかし、余剰人口がなければ戦争はできません。ですから、失業が解消されると労働力が不足し、ユダヤ人の強制労働や東欧から連行してきた人々の強制労働が必要とされたのです。

「良かった」という理由の2つ目は「社会的差別がなくなって平等が実現された」ことでした。当時のドイツは身分社会でしたので、ブルーカラーとホワイトカラーの身分さが大きく、飲み屋でも席は別でした。ナチスは、たとえばメーデーで花トラックを走らせ、その上でブルーカラーとホワイトカラーの双方に一緒にビールを飲ませるなど、平等な社会を演出し、ブルーカラーの支持を得たのです。

他には「ドイツ人であることの誇りが回復された」という理由もありました。第一次大戦の敗戦後、ドイツ人であることが恥ずかしいという雰囲気がヨーロッパで作られていきます。これは戦勝国のフランス、イギリスの責任でしたが、ナチスが不平等条約を次々と破棄し、軍備拡張していくことでドイツ人の愛国心を鼓舞していったのです。 現在と共通する「閉塞感」と「被害者感情」 あの時代の閉塞感と被害者感情は今日と共通しています。

ナチスは「ユダヤ人から仕事を取り戻して失業をなくす」と言っていましたが、当時のユダヤ人はドイツの人口の0.8%、52万人しかいなかったのです。これは今日の在特会の動きを思い起こさせる事実です。現実は在特会の言うような状況ではないのに、在特会の主張に賛同する人が出てくる、橋下の言うことに喝采を送る現状があります。自分たちの無念な思いを独裁的な政治家によって解消してもらいたいと思う構造は同じなのです。

国民が圧倒的にナチスを支持した

ナチスは国民投票を頻繁に実施しました。その国民投票で、国民は圧倒的にヒトラーを支持しました。たとえば、オーストリア併合のあとの国民投票では、ドイツでも、オーストリアでも、99%以上の指示を得たのです。しかも投票率は非常に高く、ときには90%を越えることもあったのです。 しかし、「ヒトラーと一握りの狂気集団が国民を弾圧して、ドイツをあのような犯罪に引き込んだ」という嘘の歴史像が戦後作られました。そして国民の責任を免罪することになるのです。

実はハシズムを考える時にも、国民、地方住民の責任を考えることが重要です。強い政治家、独裁者を演じたがる政治家になぜ自分たちは歓呼と支持を送るのか。その政治家がだれを仮想敵として、なぜ私たちにそれを憎悪させようとするのか、マスメディアを道具として活用するその政治家の意図を見抜くためには、私たちは「仮想敵」とされる人々の顔や姿を身近な隣人として思い描く想像力をしっかりと持たなければならないのです。

ハシズムと闘うために ナチスはマスメディアをたくみに利用したことは良く知られています。政権獲得よりずっと以前から、各種マスメディアにナチ党員を意識的に送り込んでいました。しかし、現在、橋下が送り込んだわけではないのに、マスコミの中に橋下を持ち上げ、支える人たちが多くいます。だから、ナチスドイツの現実よりも私たちの現実の方がより悲惨なのではないでしょうか。選挙の結果はともかく、こういうことをまかり通らせてはいけないと思います。 ヒトラーが地方政治から政権を取っていく過程を見ると、それと同じようなことがいま起こりつつあるのを座視することはできません。

「ハシズム」に期待する人々に何を伝え、その人々の心をどう動かすことができるのか、私たちの地道な活動がいま問われているのです。

Saturday, January 07, 2012

海外市民団体の見る汚染瓦礫問題

The support from women in the USA gives us power.
Hope Mr. Iwata will send an appealing letter to Japanese government.

http://www.youtube.com/watch?v=WFSFDMiWVzU&feature=player_embedded

Thursday, January 05, 2012

最近の原発参考情報を集めてみました。


内部被曝を考える市民研究会
http://www.radiationexposuresociety.com/

暗黒夜考~崩壊しつつある日本を考える~
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/7cd6a59f3d6942d051d2f5171d1f102a

人民新聞
http://www.jimmin.com/index.html