Irish coffee

Friday, August 17, 2007

心の友

こころのとも

あなたからくるしみをうばえたそのとき
わたしにもいきていくゆうきがわいてくる
あなたとであうまでは
こどくなさすらいびと
そのてのぬくもりをかんじさせて
あいはいつもララバイ
たびにつかれたとき
ただこころのともと、わたしをよんで

日本語を勉強しているベトナムの友人を始め、人生の旅を楽しんでいる友人たちに送ります。
インドネシアで親しまれている日本の歌です。

http://jp.youtube.com/watch?v=6ZToJc2sXn0

Monday, August 13, 2007

庶民の芸術

久しぶりに友人と話した。 庶民の芸術の可能性について。 芸術の世界がお金がかかること、お金がないとやっていけないこと、それでも、お金持ちだけのものになってしまわないために、私たちができることなどなど。

アイルランドにいるとき、音楽との距離が近かった。 路上で、パブで、生の演奏が手軽に聞けた。コミュニティバンド活動は、労働者階級のアイリッシュ、外国人、障害者などの混合メンバーで、習慣、価値観などお互い言葉では理解できない部分も、音楽でつながっていたように思う。日常のさまざまな思いが音楽を通して、ポジティブなエネルギーに昇華される。 自治体の助成金も、コミュニティ活動に使われていた。貧困層の人々が住む地域でのワークショップやパレード参加なども組み込まれていた。

芸術は、層の厚い中で切磋琢磨される。島民がほとんどフィドル弾きという島から出てきた奏者はうまい。アイルランドの音楽層も厚かった。

お金がない、手作りのコンサート。ピアノの調律の予算がなかったら、調律師さんは、ただ同然で調律してくれるとのこと。ピアノがあるのに弾けないという状況を理解して、そのピアニストの想いをくんで、ピアノの音色が聞いてもらえるように可能への扉が開く。そこにあるのは、音楽の好きな庶民たちの想いではないかと思う。

高いお金を出して、魂の伝わってこない音楽を聴くより、顔の見える距離での、演奏者と聴衆が音楽のコミュニケーションを図れる空間づくり。庶民に手の届く芸術を求めていきたい。一方で、国や自治体、企業などへの働きかけも必要だろう。文化的なものにお金を使うことが、人々の心を豊かにし、社会生活の向上につながるということを。