Irish coffee

Wednesday, December 07, 2011

福島県民が見た福島の現状

福島県民で、この10月-11月に福島に帰っておられた人の感想 (まるっと西日本調べ)シンポジウム資料より

町は何も変わってないのに、電気が消えている家が多く、町がゴーストタウンと化して、明らかに人がいなくなってしまっていた。テレビに映っているのはあえて人がたくさん住んでいるかのように見せているところを移している。現地はもともと過疎化していた上に、さらに過疎が進み、町としての存在感はすでに失われている。もう二度とすめないのだと実感してショックを受けた。

ボランティアなどから支援物資が到着すると、ひきこもっていた住民が出てきて支援物資を受け取りいそいそとまた戻っていくのに会話がない。明るさが消え、お互いに無言で口を閉ざしている。住民はとげとげしく気持ちがいらだって人格が変わってしまったように感じる。 避難者が一度避難して、安全宣言のでた南相馬市へ戻ってみても、かつての住民同士の交流が失われてしまった。一度でも避難してしまうともう元の住民に話しかけても答えはそっけない。もう二度と戻れないと感じるほどの疎外感を受けた。私たちは老人で、事態が落ち着けば福島に帰れると思っていたが、その1%ほどの希望さえ失われた。二度と戻って住むことはできないと感じた。

福島では住民が、放射線物質についての単語を敢えて口にしない。怖くて口に出せないのか、何なのかがわからない。こんなにも危険にさらされていて現実的に考えなければいけないのに誰もそれを口に出さず、まるで何もなかったかのようにすんでいる。関西へ避難している自分から見れば、「放射能」をタブー視するなんて自分の命を守ろうとしていないように見える。本当に何も考えていないとしたら怖い。小さな子どもを連れて避難した人は多いが、将来子どもを生み出す10代や20代の若者が無関心で「考えすぎ」だと嘲笑していることが信じられなかった。彼らも早急に移住しなくてはいけないと思う。安全宣言を出してしまったため起こっている現象ではないのか。老人はいいとしても10代や20代の若者も大事にしなくてはいけない。(茨城、千葉、東京からの避難者も同様の回答)

旧ソ連は除染をしていない。国民の税金を大量に費やさず、疎開や移住への政策をすぐに始めるべきだと思うが、疎開を田府県にお願いしたいと立候補していた福島県の大槌長の選挙では、その候補者が惨敗した。東電の社員が一生懸命対抗馬に投票していると地元では話題に。

福島県庁に勤務する人は山形県へ避難させて、山形県から出勤している。福島は危ないと知っていてもそれを口に出さないが、態度ではそう示している。 原発から近い地域では、東電の社員がバスをチャーターして住民を迎えに来てバスの中で100万円ずつ配り避難させたが、道を一本隔てたところでそういう支援は全くなく、福島でもずいぶんと差がある。そのことで住民同士がいがみあうはめになってしまった。

大阪弁護士会の広島の被爆者でもあり医師の肥田先生のセミナーを受けた。 半年たったら福島の人たちはブラブラ病になるとおっしゃっていたが、8ヶ月たった今、もうブラブラ病になっていると福島に戻った時に思った。一週間ほど滞在したが、町の人たちの目つきがおかしいと感じた。無気力で無感情で、気力や感情を失っているように見える。知人が一度福島に戻り、「福島の人たちが何かおかしい」と聞いてはいたが、本当にその通りだと思った。先生のおっしゃっていた低放射線被曝による「ブラブラ病」が疑われる。

***
ブラブラ病の症状が出始めているのだと思いました。無気力、無関心になると物事がどうでもよくなってしまう。その日を生きられたらいいやと投げやりな気持ちになります。引きこもってしまったら、保養に出ることもなく、被曝は減るものの、蓄積し続けることになりとても危険だと思います。内部被曝が大きな病気を引き起こす前に、汚染の少ない地域に移ることが必要だと思います。内部被曝の9割以上は食事から。避難できない人たちの内部被曝を減らすためにも、西の野菜など福島に送ることも一つの方法だと思います。

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