メディア・リテラシーと活動のあり方
メディアリテラシーの重要性
メディア・リテラシーという言葉が再びキーワードになってきていると感じる。
私たちが日ごろ目にしている情報は、誰が何のために、誰を対象に発信しているのか。
そんな問いを常に持ちながらメディアに接していくことは大事なことだと思う。
自分に必要な情報を仕入れることは比較的たやすい。
関心のある内容に関して、情報のアンテナを広げ、情報にアクセスできる人は、既成のメディアにはほとんど頼らない生活も可能だ。
でも、マスメディアは、彼らに有利な情報を垂れ流す。それしか情報源がない人たちは、徐々に洗脳され、思考することを奪われていく。
常にそうでない人たちには、そうである人たちの状況がわかりにくいかもしれない。
ファッション誌、週刊誌、新聞、ラジオ、コミュニティラジオetc.
それぞれの情報がどのような視点で作られているかの検証も必要ではないかと思う。
どこの局は見ない、どこの媒体は読まないという考えこそが、情報の偏りをもたらしているかもしれない。
広く浅く、物事に接すること、メディアに限らず、全てのことについていえるのかもしれない。
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私が、女性学を学んでいた時のこと。
ファッション誌に見られる女性像が、「見られる」性としての存在、性を商品化しているなどの批判が多く聞かれた。私も、それが拒食症や極端なダイエット、自分を肯定できない態度などにつながるのではないかと懸念していた時期もあった。
メディア・リテラシーを学んで、そういう情報が意図的に作られているということを再認識し、自分たちでそうでないオルタナティブな存在を発信していけばいいのだと思った。
インターネットでの社会的活動グループの情報などはまさにそれだと思う。
そうでない情報にどっぷりつかってきた世代の人々は、まだメディア・リテラシーの視点が十分ではないかもしれない。環境に左右される部分は大きいと今でも感じる。
その境界に立ち、既成メディアの情報を鵜呑みにしがちな人たちとの対話をどう進めていくか。
映画の上映会、ビデオ映像を見て語らう機会、写真展などなど、今まで参加しなかったような人々も巻き込んでいくことが今の私にできることではないかと思う。
それが社会を変えていくきっかけの一つであるとも感じている。
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